そんなつもりじゃなかった

人生の難易度が高すぎる

どうして純粋なままで居られないのだろう。

夜の街を歩く、オシャレで高価な服やアクセサリーを身に纏っている綺麗なお姉さん方も、小さな頃には恐らく公園でブランコを漕いだり砂遊びをしたことがあるはずだ。

いつの間に彼女達は大人になり、遠い場所に行ってしまうのだろうか。

 

そんなことを思って歩く夜の街。

「君はとてもずるいやつね」そんな事 もう知ってんだ

ART-SCHOOLが好きだ。心の奥の深いところを撫でるような優しくて甘い闇の感覚がする。彼らの楽曲にはそういうものが多い。どこまでも暗くて、孤独なのに、それを許してしまえるような。

 

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Nowhere landは少しファンクな要素があって、とても心地いい。アートの中でもかなり好きな部類に入る曲だ。同じような種類の曲で「その指で」という曲もあるが、こっちも素晴らしい。ワウの入ったギターのカッティングが、心を躍らせてくれる。

 

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R&Bチックな跳ねるベースラインが良いなあ。

 

木下さんが書く歌詞や曲の世界観は、デビュー時からずっと一貫している。ある程度の年齢を超えれば、若い頃に持っているセンシティブな負の感情だったり、青さは抜けて行ってしまうものだと思うんだけど、今も彼は音楽の第一線でその気持ちをずっと歌い続けている。それは生半可な考えでは出来ないし、大概の人間ならきっと途中で折れてしまう。痛みを売りにしていたバンドが、デビューして数年たてば初期衝動も忘れてポップに寄ってることなんてザラにあることだ。でもやっぱりそういうバンドは底が見えてしまう感じがするのでいつしか聴かなくなる。そういう意味ではアートスクールにはある種の安心感がある。いつ聴いたって、孤独な人達や痛みや暗闇について歌っているから、そこに縋ることができる。

 

Flora(初回限定盤)(DVD付)

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テュペロハニー

テュペロハニー

 

 

 

やる気が起きない。ずっと眠っている。

退廃的な生活とおさらばしよう。健全な精神は健全な肉体に宿るとよく言われている。手始めに早寝早起きだ。そう思って、夜の0時前に眠りについたのだが、何故か午後まで眠り込んでしまうという分からないオチに終わった。

そろそろ禁煙を始めようかと思って、タバコを控えているせいか(吸わない日もある)非常にやる気が起きない、眠いし、頭は回らないし、なんだか憂鬱な気分になっている。身体の調子はもちろん、吸ってないときのほうが良いのだが、精神力に火がつかない感じがとっても歯がゆい。本格的な禁煙を始めたら、どうなるんだこれ。1〜2週間は寝たきりになっちまうんじゃないか。

身体を思いっきり動かしたいから、ランニングしよう。市民体育館のプールに泳ぎに行こう。そう決意するも、結局まだ一回も行っていない。何かを思い立ってから、行動に移すまでのレスポンスが長すぎる。場合によってはそのまま消失する。

僕はよくインターネットショッピングをするのだが、一度カゴに入れてから、注文するまでに3〜4日は時間がかかる。そのままクリックして、所定の手続きをしてしまえばいいだけなのに「他にも買うものがあるんじゃないのか」だとか「今日はまだ注文しないでいいだろ」とか考えているとあっという間に日が経っている。結局、同じ物を買うんだから、なんて無駄な時間だろうか。

最近は活字の本を読むのも集中力が途切れてしまって、ダメだ。しばらくすると放り投げてしまう。結局、今の自分にできるのは音楽聴きながらアホ面で、地元を延々と散歩することだけだ。あの時間は良い。考えもまとまるし、無心で居られるときもある。しかし、こんな感じでこの先の人生やっていけるのだろうか。不安で仕方がない。

気付いたら、夏が終わろうとしている。

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台風や連続の悪天候が過ぎてから、少し涼しく過ごし易くなってきた気がする。気付けば9月が始まり、夏が過ぎ去って行こうとしている。この夏はあまり何もしなかった。前年度の夏はそれなりに毎日のように友人と遊び回っていた気がするのだが、今年はどうにも予定も合わず、また自分自身も何故か積極的に出歩こうと思う気になれなかったので、音楽を聴くか散歩ばかりしていた。

 

夏は若者にとって刺激的な季節だ。イベント盛りだくさん。実家のある神奈川県には有名な花火大会がいくつもあるので、恋人達の夏を盛り上げる内容には事欠かない。しかしながら、その裏で一人の切ない夏を送っている若者達もいるのを忘れないで欲しい。その代表の一人として、ここにそれを提示しておく。

とにかく一人で過ごす夏というのは、味気のないものだ。だが、同時にどこか自分の内面ーー深層世界と向かい合えるいい機会でもある。この夏、僕は歩いているときに色々なことに気づいた。それらのほとんどは一日眠ってしまえば忘れてしまった。全然意味ねえ。

仲の良い女子はそれなりに夏をエンジョイしているらしい。何故かこの夏、頻繁にラインでやり取りしている。「告白されちゃった」などと、青春街道まっしぐらである。うらやましい。僕もうら若き爽やかな乙女に一夏の告白などをされてみたいものである。

昔付き合っていた子とも少し連絡をとった。その子は内定が決まったらしい。そんな他愛のない話をした。それぞれが皆、ひとりひとりの夏があるのだ。僕は、ほぼ無意味に夏を消化してしまった。無念の感が凄まじい。しかし、僕にとっての夏は昔からずっとそうであった気がする。

人生の中で一度くらいは最高の夏を過ごしてみたいものだ。

 

 

何かに打ち込むということをしてこなかった人生

夏休み、散歩中に部活帰りの中高生を見かけると言いようのない気分に陥ることがる。坊主頭の野球部員達が一頻り汗を流したのか、気だるげに歩いている。しかし、彼らはどこか爽やかだ。身体を動かすと、心が晴れることは文化系の僕でも知っている。ああ、僕も炎天下を思い切り走って、仲間達と一心不乱に目標に向かって進む夏を過ごしてみたかったなぁ、と羨望の眼差しでみてしまう。とくに部活帰りの高校生が男女混合で帰宅してる姿なんて、見るに耐えられない。心が痛む。

 

僕の高校時代は薄暗く、酷い有様だった。気の置ける友人は居たが、放課後になればみんな部活動に行ってしまう。そうするとひとりぼっちになる。誰もいない放課後の教室で、夕暮れを見ながら孤独感に苛まれていた。

僕も最初は部活に所属していた。軽音楽部だ。中学生のときからギターを弾いていたので、その流れでと考えれば自然である。スポーツにもどこか憧れがあったが、中学のときにテニス部に入り、その雰囲気と運動系特有の上下関係が嫌でやめてしまった。それに比べれば、文化系である軽音楽部は上下関係も緩いし、雰囲気もだらけたものだった。しかし、ここでも僕は馴染めなかった。

とにかく、軽薄な人間が多かったのだ。ペラッペラである。部活動が開始されて、一ヶ月も経てば、誰それが付き合ったなど、ヤッただの、そういう話が目立つようになってきた。進学校の受験に失敗して仕方なくその学校に入った僕は、ただでさえ校内の雰囲気が嫌いだったのに、その下種な感じが堪え難くなってしまった。「こ、こんなの間違っている。愛への冒涜だ!」僕は拳を握りしめた。

今思えば、思春期真っ盛りの高校生。男女が付き合って、そういう関係になるなんて至極普通のことだ。けれど当時の僕は、学生はもっと学生らしく清廉な恋愛に身を置くべきだなんて考えていた。本当はただ羨ましかっただけだろう。自分だってあの当時の自分に振り向いてくれる女子がいれば、そんな考えはすぐにドブに捨てただろう。

とにもかくにもルサンチマンが大爆発して、夏が来る前には部活動から去った僕は空っぽ人間になった。

 

何もやることがなくなってから少しずつ読書をするようになった。本を読む習慣が自分についたのは、後になってみれば良かったなぁ、と思う。

一人きりの下校途中、楽しそうに歩いている高校生を見ると嫉妬心が湧いた。同じように制服を着ているのに、どうして自分はこんなにも退屈で、無気力で、荒んでいるのか。どうして馴染めない、溶け込めない。自問自答しながら帰宅し、家に帰るころにはすっかり脳が疲れてしまって早めの時間に眠った。

 

そして結局ぼくは高校すらドロップアウトしてしまうのであった。後々考えてみれば、この決断は間違っていたものであったと分かる。しかし、あの頃の自分にはもうどうすることも出来なかったし、何度繰り返しても同じ結末になるだろう。高校を退学した話は、またいずれ書こうと思う。

 

こんなことを書いていると気分が沈んできた。

コーヒーを飲んだら、外をぶらついてこよう。

台風が来るようでなかなか来ない。

台風10号が進路をちょくちょく変えながらも接近してるらしい。

僕の住む関東地方には明日上陸するようだ。このところ、ずっと曇りと雨続きで陰鬱な気持ちになる。メンタル的にもだいぶ落ちている時期なので、余計に雨が鬱陶しい。余裕があるときは、たまの雨もいいじゃないかと風情を楽しむことができるのだけど。

 

雨が止んだと思って、少し出かけていたら急に本降りになったりして、結局濡れ鼠で帰宅。これはだいぶイライラする。傘を持って歩くのがあまり好きではないので、少し曇りくらいならば天気予報で雨マークがなければ傘は持ち歩かないようにしてるが、この癖が悪いのか、僕が雨に打たれる率はかなり高い。人に会うとき以外はコンタクトを付けないので雨水が眼鏡に当たって最悪だ。歩くのも疲れるし。

 

はやくカラッとした晴れの日が来て欲しい今日この頃である。

新海誠 最新アニメ映画「君の名は。」を見てきた。

昨日、レイトショーで新海誠の最新映画、君の名は。を見てきました。以下はその感想です。ネタバレを多少含むから、心配な方は見ないほうがいいかも。

 

まず客層の女性率の高さに驚いた。女子高生あたりから20代前半くらいの子が多かったと思う。家族連れで見にきてる人たちもかなりいた。

新海誠の映画作品の特徴として、男女のすれ違いや背景の繊密な美麗さがあげられるけど、この作品もそれらのテイストは遺憾なく含まれていて、往来の新海作品ファンでも十分に楽しめるはずだ。

ただ、以前までと毛色が違うなって思う部分もとても多かった。すげぇ爽やかなんだよね、この映画。十代高校生の青春をこれでもかってほどに盛り込んでいた。だから僕のように高校生活が暗黒だったボーイズにはちょっとキツいかもしれない。例外無く僕も見ていて胸が別の意味で締め付けられた。

やはり多少は大衆を意識しているんだろう。メディアでも大々的に取り上げられてるし、これから彼の作品はこういった感じの、大きな層に向けて発信するような物が増えていくんじゃないかな。

 

都会に住む男子高校生と田舎に住む女子高生の主人公ふたりがある朝に目を覚ますと、身体が入れ替わっているところから物語は始まる。

とにかくヒロインの三葉が可愛くて、どうしようもなかった。入れ替わりモノではお約束のピンクな描写もあった。思うんだけどさ、ある日可愛い女の子と身体が入れ替わったら、当然揉むよね胸。そういう意味ではリアリティあるよ。

都会と田舎に住む思春期真っ盛りの男女が交互にそれぞれの慣れない土地での生活や周りを取り巻く人間関係に適応していくためにルールを決めて、お互い携帯やノートを使って連絡を取り合う。繋がりそうで、なかなか繋がらない二人の描写が最初は楽しめるんだけど、後半になるにつれて、それがどうにも切なかった。

三葉の住む糸守の雄大な自然を描いた背景描写が美しくて、思わず息をのんでしまう。

彗星が落ちてくるシーンなんて、シリアスな場面なのに絵が綺麗すぎて、高揚感すら覚えた。

ふたりは悲惨な未来を回避して、それぞれの時間軸に戻っていく、お互いの記憶も失ってどうすることもできなくなってしまった。お、ここから新海ワールド炸裂か? と思ったが、解かれたふたりの繋がりが再び結ばれていくような示唆を残して映画は終わった。

この映画内での重要なキーワードである「結び」というのを、なるほど、うまく表現している。「結び」でなくてはならないからこそ、最後また糸が交わるのだ。

 

個人的には大満足な内容でした。いつかまたBDでも出たら見直したい。

帰りに書店で小説も買ってしまった。新海さんの書く小説もなかなか好きなんだよなぁ。