そんなつもりじゃなかった

人生の難易度が高すぎる

ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂの思い出

もう何度も読み返している本がいくつかある。そのうちのひとつが滝本竜彦著作ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂという小説である。

 初読したとき、僕にとってはある種の衝撃であった。滝本竜彦氏を知ったのはNHKにようこそ! という氏の小説を読んでからだ。NHKには大変影響を受けたため(後にこれが僕の人生を少しばかり変えてしまうのだが……)同じ著者の小説を読まなくては! という半ば義務感にかられ、手に取ったのがデビュー作のこの本だ。

読み進めている途中は、少しばかり期待はずれ感があった。主人公の山本がどこはかとなく抱く不安感・焦燥感を、独白のような形式で語りそこに山本の周囲にいるヒロインや悪友との日常が挿入されていく。という感じなのだが、それ自体は思春期の少年特有のアイデンティティを探るような青いもので、そういう感情は現実世界では一過性であることがほとんどなので、「こういう気持ちあったなあ俺にも」とどこか俯瞰気味に読んでしまっていた。

退屈で目的もない毎日を過ごす主人公はある夜に、チェーンソーを持つ巨大な男と対峙する少女と出会い、そこから非日常的な戦いへと身を投じて行く。けど、戦い自体はそんなシビアなものじゃなくて、どちらかといえばユーモラスに書かれている。その微妙にどこか捻くれている感じが、滝本さん上手だなーと感心した。中盤に差し掛かるまでは、主人公はその悪役・敵と戦うという事にさえ、本気になれずにいるのだ。

しかし次第に主人公はその戦う「敵」がいる。という所に救いを見いだすようになる。漠然として、形のない不安感が続く毎日のほうが、より恐ろしく救いようがないのだ。だが、目に見える形の悪がいる。倒すべき、戦うべき相手がいるということは、とても明快だ。そのために生きればいいのだから。

 

僕は、その主人公がチェーンソー男にある種の形の救いを見いだしていく過程に、とても引き込まれてしまった。これを読んでいた僕も、ずっと敵が欲しかったのだ。そいつが兎に角悪くて、起こる事すべてそいつのせいだ。そういう何かが居てくれれば、四畳半の一人部屋でウジウジ過ごしている自分も救われたであろう。

様々な過程を経て、主人公はチェーンソー男との最終決戦へと向かう。そして、自分の想いをヒロインに伝えて、チェーンソー男を倒す。その後は、街をデートしている主人公・ヒロインが描写されて物語は終わる。ふたりは、ありがちだが、恐らく幸福である日常へと歩いて行くのだ。

なーんだ。結局、彼女がいればオールオッケーってことじゃないか……。(違うか)

 

読後、僕は倒すべき敵がいないことにも、自分にはこの小説のように守るべき少女がいないことにも絶望した。現実世界は薄暗い、例えようのない不安感が続くだけだ。少なくとも僕の人生に置いては。そこを超えるような何かを今も僕は欲している。