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そんなつもりじゃなかった

人生の難易度が高すぎる

何かに打ち込むということをしてこなかった人生

夏休み、散歩中に部活帰りの中高生を見かけると言いようのない気分に陥ることがる。坊主頭の野球部員達が一頻り汗を流したのか、気だるげに歩いている。しかし、彼らはどこか爽やかだ。身体を動かすと、心が晴れることは文化系の僕でも知っている。ああ、僕も炎天下を思い切り走って、仲間達と一心不乱に目標に向かって進む夏を過ごしてみたかったなぁ、と羨望の眼差しでみてしまう。とくに部活帰りの高校生が男女混合で帰宅してる姿なんて、見るに耐えられない。心が痛む。

 

僕の高校時代は薄暗く、酷い有様だった。気の置ける友人は居たが、放課後になればみんな部活動に行ってしまう。そうするとひとりぼっちになる。誰もいない放課後の教室で、夕暮れを見ながら孤独感に苛まれていた。

僕も最初は部活に所属していた。軽音楽部だ。中学生のときからギターを弾いていたので、その流れでと考えれば自然である。スポーツにもどこか憧れがあったが、中学のときにテニス部に入り、その雰囲気と運動系特有の上下関係が嫌でやめてしまった。それに比べれば、文化系である軽音楽部は上下関係も緩いし、雰囲気もだらけたものだった。しかし、ここでも僕は馴染めなかった。

とにかく、軽薄な人間が多かったのだ。ペラッペラである。部活動が開始されて、一ヶ月も経てば、誰それが付き合ったなど、ヤッただの、そういう話が目立つようになってきた。進学校の受験に失敗して仕方なくその学校に入った僕は、ただでさえ校内の雰囲気が嫌いだったのに、その下種な感じが堪え難くなってしまった。「こ、こんなの間違っている。愛への冒涜だ!」僕は拳を握りしめた。

今思えば、思春期真っ盛りの高校生。男女が付き合って、そういう関係になるなんて至極普通のことだ。けれど当時の僕は、学生はもっと学生らしく清廉な恋愛に身を置くべきだなんて考えていた。本当はただ羨ましかっただけだろう。自分だってあの当時の自分に振り向いてくれる女子がいれば、そんな考えはすぐにドブに捨てただろう。

とにもかくにもルサンチマンが大爆発して、夏が来る前には部活動から去った僕は空っぽ人間になった。

 

何もやることがなくなってから少しずつ読書をするようになった。本を読む習慣が自分についたのは、後になってみれば良かったなぁ、と思う。

一人きりの下校途中、楽しそうに歩いている高校生を見ると嫉妬心が湧いた。同じように制服を着ているのに、どうして自分はこんなにも退屈で、無気力で、荒んでいるのか。どうして馴染めない、溶け込めない。自問自答しながら帰宅し、家に帰るころにはすっかり脳が疲れてしまって早めの時間に眠った。

 

そして結局ぼくは高校すらドロップアウトしてしまうのであった。後々考えてみれば、この決断は間違っていたものであったと分かる。しかし、あの頃の自分にはもうどうすることも出来なかったし、何度繰り返しても同じ結末になるだろう。高校を退学した話は、またいずれ書こうと思う。

 

こんなことを書いていると気分が沈んできた。

コーヒーを飲んだら、外をぶらついてこよう。