そんなつもりじゃなかった

人生の難易度が高すぎる

どん底です人生

底なし沼にゆっくりと沈んで行くように毎日が無為に溶ける。世間ではGWだと、何かと騒がしいが、全く持って喧噪の外というか……実感がない。それは当然のことで、予定もない日々を過ごしていれば日付や曜日の感覚が疎くなる。

現在の僕はニート真っ盛りであり、だいぶ精神的にキツい状況だ。かといって職に着こうと考えて、いざ実行し、求人票を漁り、ハロワ等に向かう、そのような行動を起こしても数時間経てば嫌になってしまう。「もう何もしたくない」脳が思考停止する。

 

つい先日、久しぶりにアルバイトを始めた。職種は伏せる。

採用を受け、翌日からの勤務。これが思った以上に激務であった。バイト先の社員と談笑しつつ、仕事はいくらか覚えて、その日のアルバイトは終了した。しかし、帰り道、僕はもう既にやめることを決意していた。たったの一日、これだけで心がボロボロに折れた。

 

それから数日立たないうちに別のアルバイトに応募。某運送会社の求人だが、実際に面接を受けた時に、希望の種類のバイトが現在募集されていないという事実が発覚。なので即刻辞退した。採用係のオジさんは人の良さそうな雰囲気で、「また何か縁があればよろしくお願いします」と言ってくれた。

そこから世間話を十五分くらいして、僕はその場を後にし、自己嫌悪と遣る瀬なさで押しつぶされそうになった。職種を選んでる場合かよ、心の中でもう一人の自分がそう突っ込んだ。

帰り道、自分と歳が三つ四つしか変わらないような歯科大のボンボンの大学生の群れを遠目に、公園で缶コーヒーを啜った。タバコを吹かしながら、色々なことを考える。——いっそのこと死ぬか?

もちろんそれが不可能なことは百も承知だった。自殺が出来る勇気があるなら自分はとっくにしている。過去どれだけ悲惨な思いをして来ても自分はその最後の選択を決して選ばなかったのだ。

これからも、ただ惰性で生きていくことは想像に難くない。

生活リズムが落ち着かない

寝るのも起きるのも不定期だ。前は布団に入れば、すぐに眠れた記憶があるのだけど、喫煙を再開してからどうにも寝つきが悪い気がする。

実は先日、少しだけ禁煙を試して見たのだけど、3日でギブアップ。ただ吸わないなら吸わないで、余裕ということが分かったので、口さみしさと精神的な物(煙を吸うという)を紛らわすためにネットでニコチンフリーのハーブタバコを購入。届いたら再び禁煙してみる。これで無理ならアイコスに変えるのも視野に入れないとな。

以前すっぱりとやめられたときは特に何も利用せずに自然に吸わなくなったんだけど、今回は周囲の環境だったり、メンタル的に追い詰められてるのも起因してか、なかなかやめられそうにない。精神的な物なんだろう。酒は一滴も口にしないでも平気になった。タバコを再開する前までは毎晩飲んでいたが。

 

 

 

秋だ

秋は寂しい。

寂しいのは秋だ。

しかし過ごし易くて良い季節だ。

今日はこんな感じで終わり。

どうにもやる気が起きない

何もやる気が起きず、友人に誘われて遊びに行く以外はダラダラと毎日を過ごしている。身体も心なしか怠い気がする。椅子に座ってると腰と脚に不快感があるため、少し外に出て歩いたりする。そうすると楽になるから、しばらく外で過ごしている。

大学が始まるまで一週間を切った。結局夏休みの間は何もせず、かと言ってやる気も起きず無駄に浪費してしまった。このところ、自分の先の人生を考えると不安で仕方がない。大学で友人と「この先どうすっかなあ」「俺は好きなことやって暮らすぜ」なんて馬鹿話をしているうちは気が楽だ。独りになるとどうしても色々と負の想念が浮かんでは消え、そしてまたやってくる。特にビジョンもない。音楽が好きで、趣味でたまにバンドをやったりするも、それで食って行けるなんて考えてもいないし、恐らくほとんどの人間は自分の所謂「夢」を職業にすることなんてできないだろう。じゃあ、自分が目的もなくただお金を稼ぐために仕事ができるか? と問われたらそんな自信はない。無理をして張った糸はどこかでぷつんと切れてしまうだろう。心を壊してしまうくらいなら、自分の好きなことをやって生きた方がいい。けど、その自分が好む物すら心から信じることができず、本腰を入れて取り組めない時点で僕は何者にもなれない。それは自分が一番理解してるつもりだ。

まともに職に付くのも、フリーターしながら音楽や小説を書いたりするのも、どちらも何か違う気がする。できることなら、大学でずっと勉強していたい。興味のある講義を受けて、友人と遊んで、家に帰ったら本を読んで、そんな日々がずっと続けば良いのに。今いる大学は教授も友人も良い人たちばかりで、居心地が凄く良い。勉強するのだって楽しい。けど、此処で学んだことの8ー9割がたは社会に出て使うことはないだろう。考えやパフォーマンス面で仕事に影響するかもしれないが。

一度、大学院進学も考えた。モラトリアムの延長線という気持ちも若干あると思う。しかし、それでも研究職という茨の道に自分が突っ込んで行く勇気もなく、結局現実味がなかったため、それについては保留した。資金面の問題もある。お金を貯めて、大学院に行くのもありかもしれない。このまま行けば就職活動もせずに目的なしプータローorフリーターが誕生するだけなら、大学院で知的好奇心の赴くままに再び学生生活を送るのもありだ。

けど、結局どの道に行っても苦労する。少なくとも僕にとっては人生のほとんど心を痛めるような出来事がある日々がほとんどだったし、常に何かしらの漠然とした不安感がつきまとい続けていた。これから、どうやって生きて行くんだろう。自分が一番知らなくてはならないことにずっと目を背けて来た。いつまでもこうしている訳には行かない。

なんで一歩踏み出せない?

 

初恋芸人を読んだ

中沢健著作の初恋芸人という小説を読んだ。これがとても僕好みの童貞感爆発しているような本で、興奮が覚めてしまう前に感想を書いておくことにする。

初恋芸人 (ガガガ文庫)

初恋芸人 (ガガガ文庫)

 

 

主人公で売れない芸人をやっている佐藤は、先輩の同じくお笑い芸人である山形ツチノコ主催のライブに出演するのだが、彼らのライブ後に自身らのネタを面白いと言ってくれたヒロインの市川理沙と打ち上げを共にすることになる。

そこから佐藤と市川は急接近して、自他共に認める友達になるが、主人公の気持ちは時間と共に変容していく。最初は人生初めての女友達に浮かれていた佐藤。しかし、時間が経つに連れて自分が市川のことを異性として好きになってしまう。実は佐藤は最初から市川のことを友達と意識するよりかは「女性」として意識していたのだが、無意識にそう思わないようにしていた。ここで彼らの気持ちに差異があったのだ。

市川にとって、主人公の佐藤はどこまで行っても大切な「友達」のひとりでしかなかったのだ。そして、あろうことか彼女は主人公の恩人で仲間である山形ツチノコと恋愛関係になってしまうのだ。

恋人になりたい佐藤と、友達のままでいたい市川。市川は友情関係を壊したくないために佐藤に嘘をつき続ける。それも長くは続かずに、物語は終盤を迎える……。

 

読んでいて、心が痛くなった。お笑い芸人の著者が書いているせいか業界の描写にも妙にリアリティがあって、その分没頭できたのだが、あまりにもモテない男性の純粋な心が繊密に描写されているせいでダメージがとてつもなく大きい。精神衛生上よくない。

終章で書かれる市川の独白には、真実があった。それは小説というフィクションだけには留まらず現実の恋愛にも綺麗に当てはまると思う。

女性にとって、異性として見ることのできない男は、どこまで行っても恋愛対象にはならないということだ。女性は弱い男にはとてもつもなく厳しい。権力があり、強いオスを好む。単純なことだが、普段生きていると忘れてしまいがちなことだ。

しかし自然界では弱い者の遺伝子は淘汰されてしまうのだから、強い者を求めるのは本来自然であって、理にかなっているのだ。衣服を着て、人工的な世界に生きる僕たち人間も、恋愛という自然的な現象は野生の考えに基づいて行っているのだ。

僕は読んでいて、自身の経験も照らし合わせながら、中高生だった頃、教室にあったいやーなスクールカーストのあの雰囲気を思い返していた。

主張のできない弱く惨めな男は隅に追いやられて、権力のある男達が女子を独占して、楽しそうに過ごす。それは社会も学校も変わらないな。僕も高校のころは自分が女性と楽しく過ごしているところなんて、想像も付かなかった。現実感がないのだ。ましてや髪やあの柔らかそうな唇に触れることなんて、それこそフィクションの世界だと思っていた。

僕はこの人生において今までで、奇跡的に何人かは恋人ができたのだが、こんな自分も異性から男として見られることがあるんだなーと不思議で仕方なかった。そしてそのとき思ったのだが、女性から認められないと「本質的な意味での男としての自信」を身につけることは限りなく難しいことに気づいた。

そのくらい異性といると自信がつくし、幸福感に満ちあふれるのだ。何かに失敗しても自分には認めてくれる味方がいるという感覚。これは同性との友情関係や家族内の親愛から得ることはできないだろう。

 

話が大きく脱線してしまった感はあるが、それくらい引き込まれてしまいましたってことで。なんにせよ良い小説でした。おすすめです。

ファミレスで呑むという選択肢

 昨日の話になるが、深夜に突然友人から連絡がきて、今から遊ばないか? と提案された。丁度暇を持て余していた僕は二つ返事で了承。ついでにもう一人友人も誘って、久しぶりのメンバーで集合した。幾つになっても夜中に遊びに行くのはテンションがあがるな。久しぶり……ということもあって、みんなでだいぶはしゃいでしまった。

友人の車に乗って、少し遠くにあるファミレスまで行く事にした。この時間でも空いてるバーミヤンがあったのでそこに決めた。

深夜のバーミヤンは人が誰もいなくて、居心地がよかった。次はどこに旅行に行くか軽く計画してみたり、音楽談義に花を咲かせたり、昔の馬鹿話に思い耽ったり、とにかく話はつきなかった。

運転をしない僕ともう一人の友人はお酒をいただくことにした。デキャンタで梅酒ロックを注文。これが400円ちょっとでだいぶ量がある。酔いも少し回り始めると饒舌になっていく。紹興酒も頼んだ。

次々と料理がくる。酒と中華料理の相性は抜群だ。みんなでシェアしながらたらふく食べても、酒込みで4000円ちょっとだった。このとき思ったんだが普通に居酒屋に行くよりも大幅に安い。しかも充分楽しめる。

「ファミレス呑み」のコスパの良さを侮っていてのかもしれない。これからは選択肢のひとつにいれていこう……。

 

店を出る頃にはもう明るくなりはじめていた。

帰りは海沿いの公園で談笑しながら少し歩き、みんなで口でジャズを演奏してセッションするなどのアホな行動もしたが、良き夜でした。

 

ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂの思い出

もう何度も読み返している本がいくつかある。そのうちのひとつが滝本竜彦著作ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂという小説である。

 初読したとき、僕にとってはある種の衝撃であった。滝本竜彦氏を知ったのはNHKにようこそ! という氏の小説を読んでからだ。NHKには大変影響を受けたため(後にこれが僕の人生を少しばかり変えてしまうのだが……)同じ著者の小説を読まなくては! という半ば義務感にかられ、手に取ったのがデビュー作のこの本だ。

読み進めている途中は、少しばかり期待はずれ感があった。主人公の山本がどこはかとなく抱く不安感・焦燥感を、独白のような形式で語りそこに山本の周囲にいるヒロインや悪友との日常が挿入されていく。という感じなのだが、それ自体は思春期の少年特有のアイデンティティを探るような青いもので、そういう感情は現実世界では一過性であることがほとんどなので、「こういう気持ちあったなあ俺にも」とどこか俯瞰気味に読んでしまっていた。

退屈で目的もない毎日を過ごす主人公はある夜に、チェーンソーを持つ巨大な男と対峙する少女と出会い、そこから非日常的な戦いへと身を投じて行く。けど、戦い自体はそんなシビアなものじゃなくて、どちらかといえばユーモラスに書かれている。その微妙にどこか捻くれている感じが、滝本さん上手だなーと感心した。中盤に差し掛かるまでは、主人公はその悪役・敵と戦うという事にさえ、本気になれずにいるのだ。

しかし次第に主人公はその戦う「敵」がいる。という所に救いを見いだすようになる。漠然として、形のない不安感が続く毎日のほうが、より恐ろしく救いようがないのだ。だが、目に見える形の悪がいる。倒すべき、戦うべき相手がいるということは、とても明快だ。そのために生きればいいのだから。

 

僕は、その主人公がチェーンソー男にある種の形の救いを見いだしていく過程に、とても引き込まれてしまった。これを読んでいた僕も、ずっと敵が欲しかったのだ。そいつが兎に角悪くて、起こる事すべてそいつのせいだ。そういう何かが居てくれれば、四畳半の一人部屋でウジウジ過ごしている自分も救われたであろう。

様々な過程を経て、主人公はチェーンソー男との最終決戦へと向かう。そして、自分の想いをヒロインに伝えて、チェーンソー男を倒す。その後は、街をデートしている主人公・ヒロインが描写されて物語は終わる。ふたりは、ありがちだが、恐らく幸福である日常へと歩いて行くのだ。

なーんだ。結局、彼女がいればオールオッケーってことじゃないか……。(違うか)

 

読後、僕は倒すべき敵がいないことにも、自分にはこの小説のように守るべき少女がいないことにも絶望した。現実世界は薄暗い、例えようのない不安感が続くだけだ。少なくとも僕の人生に置いては。そこを超えるような何かを今も僕は欲している。